所長のおつとめ[コラム04]
以下の内容は中島が過去に関わった実話ですが、関係者の個人情報が特定できないように配慮しながら原稿を作成しています。
第4回「警察署からの電話」
その日、都内の警察署から電話がかかってきた。
「実はですね、先日亡くなった方のスマホのケースのポケットから中島さんの名刺が出てきましてね」
いきなりそう言われたら緊張するものである。
「それは誰ですか?」と私。
「お名前は山口よしえさん(仮名)。39歳の女性です。心当たりはありませんか?」
「山口さん・・・? 記憶にありません。毎日の活動の中で、たくさんの人々の相談を受けてきましたが、匿名やニックネームで相談する方もいます。その中の一人かもしれません。過去に受けた相談の記録を調べてみますが、ところでその山口さんはなぜ亡くなったんですか?」
「自殺です。本人が中島さんの名刺を持っていたということは、生前、中島さんに何か相談したのだろうと思いまして。その名刺に載っている携帯番号を見てご連絡しました」
「そうでしたか」
私の名刺を持っているということは、私は彼女と会っている、という可能性が非常に高い。過去に相談を受けたのだろうか。それは「死にたい」という気持ちを含む内容だったのだろうか。そのときに私はなんと答えたのだろうか。
「電話では説明しきれないこともありまして」と担当者。
この山口よしえさんの自殺に関する捜査は終わっているが、念のため間接的な関係者からも情報を集めているのだという。その翌日、私は協力者として警察署を訪れることになった。
過去のデータを確認してみたが、私がこれまでに受けた相談の記録の中に「山口よしえ」という名前はない。警察署を訪れた私は、まずそのことを担当者に伝えた。
「そうですか。山口さんの住所は◯◯県◯◯市で、本人はギャンブル依存と多重債務で悩んでいたようです。それをダンナさんにずっと隠していたようで。39歳の女性にそのような内容を相談された、という記憶はありませんか?」
ギャンブルや借金に関わる相談は少なくないが、その情報に該当する記憶はない。
「心当たりはないのですが、自殺の理由はそういうことだったのですね」
「実は山口さんと一緒に亡くなった人が複数います」と担当者。
「集団自殺だったんですか?」
「ええ。練炭自殺です。Twitter(X)を通じて知り合った男性4名と女性2名。現場はその中の男性の自宅──◯◯駅近くの一軒家です。6人の中の一人が山口さんでした」
そこで担当者は両手に白い手袋をつけた。傍らに透明の袋があり、その中にスマホが入っている。白い手でスマホを取り出してデスクの上にそっと置く。
「これが山口さんのスマホです」
スマホの手帳型のケースにはポケットが付いており、その中に名刺が一枚入っている。担当者はピンセットを使ってその名刺を取り出した。
「私の名刺ですね」と私。
複雑な気持ちである。かつて私の名刺入れに入っていた一枚の名刺は、自殺した女性のスマホのケースから発見され、ピンセットで取り扱うものになっている。
「山口さんは、どんな顔や体型の方なんですか?」と私。
「太めの女性ですが・・・中島さん、写真をお見せしても大丈夫ですか?」
「大丈夫ですか?」というのは、遺体の写真を見せても大丈夫か、という意味であることがわかった。
「大丈夫です」
担当者は別室から資料を持ってきてデスクの上に置いた。スクラップブックのような形の資料である。それを開くと大量の写真が並んでいた。
「この人です」と担当者が指で示す。
その写真の中で、女性が仰向けの姿勢で眠っていた。眠っているように見える、というのが正しい。練炭自殺であったため、身体にショッキングなダメージなどはない。全身の写真、顔のアップの写真、遺体発見時の状況まで確認できる写真もあった。
しかし写真を全部見ても、私は「山口よしえ」という相談者を思い出すことができない。
「念のため、他の5人も見てもらってもいいですか?」と担当者。
私は山口さん以外の遺体写真も確認した。男性4名、女性1名。20代前半から30代後半。山口さんと同じように、まるで眠っているような表情である。この5人の写真もすべて確認したが、心当たりはない。
現場となった部屋に6名の遺体が横たわっている、という写真も多数あった。様々な角度から撮影されている。私はその場面を見て疑問に思った。そこには20代前半の女性(山口さんとは別の女性)も横たわっているが、なぜか彼女だけが全裸である。下着も身につけていない。
「これはどういう状況なのでしょうか?」と私。
「それについては説明を控えさせていただきます」
担当者は教えてくれなかった。
結局、山口よしえさんが私の名刺を持っていた経緯はわからない。彼女に関する情報を警察に提供することはできなかった。
謎が残るものの、彼女が私の名刺を持っていたことは事実。その名刺は私の分身ともいえる。死ぬ前に、名刺に書いてある携帯番号に電話してほしかった。彼女の命を救うことができなかった。悔やんでも悔やみきれない。
私は人生や社会について、こう考えている。あらゆる場面で実際に選べる選択肢が多ければ多いほど「より自由である」。
そういった意味で「この時代・この社会には、自殺という選択肢もあるけれど、それ以外の選択肢も実にたくさんある」という情報や知識や経験談を、それを必要としている人々に届けたい。だからその活動を続けている。
けれども私という人間は、山口さんが死ぬ前に電話するような存在ではなかった。そのことを自覚しなければならない。これからも身の丈に合った言動を厳守しなければならない。
就寝時の夢の中に山口さんが出てくることもある。
「私は、いつどこであなたに名刺を渡しましたか?」
これまでに何度も問いかけた。でも彼女の目は開かない・・・。
ところで、警察署を訪れた日には次のようなエピソードもあった。
警察署から最寄りの駅まで徒歩20分くらい。署を出て駅に向かおうとしたとき、ゲリラ豪雨に襲われた。あまりにも激しい雨なので、駅までタクシーを利用することに。
「突然降ってきましたねえ。これじゃあ、歩いて駅に行くのは大変だ」
乗車したタクシーの男性ドライバーは60歳くらいだろうか。乗客に対して積極的に話しかけるタイプだ。
私は後部座席で山口よしえさんの遺体の写真を思い出しながら、「彼女といつどこで会ったのだろうか」という自問自答を繰り返していた。そのため、思わず次のような言葉が出てしまった。
「運転手さん。最近、◯◯駅の近くの家で集団自殺があったのですが、ご存知ですか? 私はその事件の関係者といいますか、その事件を調べている者なんですが、何か知りませんか?」
「自殺ですか。聞いたことありませんねえ。そんな事件があったんですか。集団で自殺するなんて、皆さん、よほど嫌なことがあったんでしょうねえ」
ドライバーはしばらく沈黙していたが、やがて何かを思い出したようである。その内容を語り出した。
「自殺といえば、私の実家は自営業だったんですよ。だから子供の頃は経済的に恵まれていましてね。私は私立の小学校に行かせてもらえたんです。でもその地域で私立に行っているのは私だけですから、公立の小学校に行っている近所の子供たちと顔を合わせると、いつも『おまえは誰だ?』と言われて、いじめられる。小学校〜中学校、ずっといじめられていましたよ。中学のときに『死にたい』と思ったこともあったなあ」
今回の集団自殺とは関係ない話であったが、私はドライバーの話に耳を傾ける。
「実家は鋳物工場だったんですよ。で、私は高校生になったときに決意したんです。うちの工場にあった鉄の棒──まるで刀みたいな棒でしたが、それを持って、自分をいじめたやつの家に行きました、仕返しをするために。その棒で怖がらせてやろうと思いまして。そしたら、そいつの親が警察を呼んでしまって、私が悪者になってしまいましたよ」
ドライバーは自分の言葉に笑った。
「でもそれ以来、いじめはピタッと止まりました」
「痛快なエピソードですね」と私。
「いじめられて自殺しても、仕返しにはなりませんからねえ」
タクシーが駅についた。豪雨は小雨になっていた。
(2024年8月 中島坊童)
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